2007mj 2016.10.06

早起きするとこんなじっとりとした文章なんて書かないと思う、だからいま書く、今日の私が、明日の私にちゃんと残って、電話ですべて吐けるように。



わたしの春は、
わたしの知らないところでふわふわしていた。
わたしは、いつか教科書で読んだみたいに、いつのまにかそれを知っていた。
わたしの周りのたくさんの人はそれを手の中に収めたがっていて、
でもわたしは、なんとなく、そのまんまでいいって
ずっと泳がせていた。
春風も、わたしの知らないところで生まれていて、
わたしはその風に会いにいくのが好きだった。
風に吹かれているとき、わたしの心はとても心地よかった。
ここが故郷なんだって思ったりした。
だいたいそもそも
風のはじまりを、わたしは知らない。
わたしの吐いた息が空気と擦れてやわらかい風を生んだとしたら、それを奇跡だと信じて、その日は紙ふぶきを撒いてお祝いしようとおもう、なんて言ったりした。
そんな私を、春風が一瞬だけ強くいなした。
嘘だって言った。


風はたまに夢を運んでくる。
水彩絵の具で描いたような、わたし好みに仕立てあげた夢。
いつもは好んで見るその爽やかさが、ある日わたしを責めたてた。
それは風がはじまる瞬間の夢だった。
とても素敵(ステキは素適と書きなさいと言われてもわたしは敵をつかう)で、
あたたかい色で、
思わずうっとりとするような。
いつもの風に包まれて、わたしはぼんやりとその夢を見る、
浮かされた頭でぼんやりと感じるその色に、わたしは温度を感じない。
それがひどくわたしを責めたてる。


わたしの故郷には風がなかった。
空気がこもって、そこで何人も死んだ。
春もなかった。
春ではないものに春と名前を付けて大事にしていた。
わたしはそこから逃げたくて、風を捕まえてはそれに乗ろうとしていた。
風に乗ってどこまでも遠くに行こうと思っていた。
そうやって待っていた何巡目かの風が、わたしの出会った春風だった。
冷たくなくて、強くて、
でも羽のないわたしを運ぶには、明らかに力が足りない。
絶望するわたしに、それでも空気を運び込む。
風は、なんにも絶望しちゃいなかった。
わたしひとり運べない風が、それでも自信たっぷりにわたしの故郷の傍をとおっていくたび、
アイツはどんなにあたたかくて素敵なところから来たんだろうとわたしはおもっていた。


ほんとうは
わたしが息を吐いたら生暖かい風が生まれる。
わたしはそれを知っている。


風の運んできた夢はわたしの理想みたいなホンモノだと思えた。
同じ歌を聞き続ければその歌がすこしうまく歌えるように、
その夢を見続ければ、わたしにも風が起こせるんじゃないかとおもった。
でも、春風は、春に生まれるもの。
春を泳がせてきたわたしにはどうにもならなくて、
今ごろ釣ろうにも ちっとも釣れない。
その温度もわからない。
釣り竿を投げてわたしの出来ることは、
春を泳がせ続けてきたカコのわたしを責めること。


風が運んできた夢をみることに疲れたわたしは
明日、春をあきらめようと言ってみた。
春風には、もう、この廃れた街の傍は通らないでくれと言おう。
言ってみることで静かな風が起きた。
そいつはすぐに溶けて消えた。
代わりに、その日の夢のなかで、
いつも春風に包まれて見ていた夢をひとりぼっちで見た。
風がはじまる瞬間の夢、
儚くて、素敵で、あったかい色をしている。
輪郭のぼやけた風景を思い返して、
それで、わたしは気づく、
夢に出てきた、はっきりとは見えない色にひとつひとつ辞書で見た名前を振って、
学者みたいにわたしは気がつく。


ひとがいて、ひとがいて、
冷たさをしったひとにしか感じない、
あたたかな感情の混じったこえがする。


知っていますか、わたしは知っている、
春はね、
春風を生む春はね、
風を合図にしたわたしの吐息が
誰かに届いてはじまるんだ。


だって、ずっと夢でそう見ていたもの。


なんて言ったらいいのか、
どのくらい大きなこえを出せばいいのか、
やったことのない挑戦になる。
故郷の季節が冬になった。
万年冬だから、今までずっと言えなかった。
故郷を冬だと言うとき少し絶望感があるから。
巡るはずの季節は少しも巡っていなくて、
春は来ないのか
来ている春を私たちが認識できないのか。
そんなことに悩んでわたし達は息を詰めていた。
でも、ニセモノに春と名前をつけたままでは、
いつまで経ってもわたしの欲しい春は来ない。
風の運んだ夢に焦がれるならば、
息を吐いて、風を作らねばならない。
春は、わたしの知らないところでふわふわしたものじゃなくなった。
もう、目の前にある。
冬の次に、春は来る。
冬も、きっかけの合図も持ったわたしなら、大丈夫。




電話を手に取った。
この声が、どうか、届きますよう。